2012年05月:赤ちゃんにもママにも優しい安眠ガイド

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iPhone用リモートカメラでいろいろ見守ってみた

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iPhone用リモートカメラでいろいろ見守ってみた
ITmedia ガジェット 5月28日(月)16時35分配信








iZON(実勢価格1万2800円)の本体は、スタンドを含んでも10センチメートルに満たない大きさ。電池などは内蔵されておらず、付属のUSBケーブル、USB電源アダプターから給電する。映像はiOS用の無料アプリ「Stem:Connect」で確認できる。iPhone、iPad、iPod touchに対応



 今回は、iOS端末用リモートカメラiZONで別室にいる赤ちゃんやペットの様子を観てみたいと思います。リモートカメラというとイメージするのは、来客が確認できるカメラ付のドアフォンかもしれません。遠くの部屋から映像と音声を確認できるのは、iZONもドアフォンと同じなのですが、実は無線LAN(2.4GHz帯)で映像や音声を送信、専用のサーバーを経由して観るというところが違います。無線LANがからんできますので、専用アプリインストール後の初期設定がそれなりに必要になります。

 国内代理店の公式ホームページに設定方法を解説したPDFファイルと製品に関するFAQがありますが、製品には日本語の説明書の添付はありません。家電のようなマイルドな見た目の割にはいかにもパソコン周辺機器といった感じがします。このあたり「心してかかる必要があるなあ。こういう機器に慣れている人向けかなあ」と個人的には思いました。また、無線LANの電波が飛び交っているような場所では、うまく動作しないこともあるようです。

●赤ちゃんを見守ってみた

 まず、離れた部屋の赤ちゃんを確認してみました。ちなみに専用サーバを経由しているため、観ている映像、音声には30秒の遅延があるところが実際に使用するときの注意点です。今回、使用しているのはiPod touch(第3世代)です。映像は離れた部屋から確認しつつ、録画ボタンを押して撮影したもの。撮影した映像は設定したYouTubeアカウントにアップされます。30秒の遅延をどうとらえるかということはありますが、様子は十分確認できますし、泣き声もちゃんと確認できるということが分かりました(この後、すぐ抱きに行きましたのでご安心ください)。

(動画:http://gadget.itmedia.co.jp/gg/articles/1205/28/news079.html)
アプリからYouTubeにアップされた、泣く赤ちゃん映像(音量に注意)。泣き声も含めて、隣室の乳児の様子を確認できた

●メダカを見守ってみた

 我が家は集合住宅で犬や猫は飼えないため、ペットといってもメダカの水槽ぐらいしかありません。果たして、メダカのような小さなものでも確認できるでしょうか。

(動画:http://gadget.itmedia.co.jp/gg/articles/1205/28/news079.html)
アプリからYouTubeにアップされた、メダカの映像。こちらもアプリの録画ボタンを押して自動生成されたもの。メダカの泳ぐ姿が確認できる

 このようにiZONはなかなかデザインに優れたおもしろい機器なのですが、やはり設定にある程度の知識が必要なのも事実です。機能を限定したスイッチオンですぐペアリングできる遅延なしのモデルや、360度遠隔操作で回転させることができるタイプなどもあれば良いのになあと個人的には思いました。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120528-00000061-it_gadget-sci
※この記事の著作権は配信元に帰属します。

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小雪 「息子が可愛く思えない…」出産から4カ月続く”育児ストレス”

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幼児/子供を天才に育てあげる子育て術


30秒でロト6予想!

昨年4月に松山ケンイチ(27)と結婚し、今年1月には長男を出産した小雪(35)。育児ストレスに悩む彼女の出産直後の苦悩を芸能関係者が語る。

「小雪さんは初めての育児に戸惑い、心身の疲れがひどかったそうです。赤ちゃんの夜泣きのたびに起きるから睡眠時間もほとんど取れず、ストレスは溜まるばかりだったといいます」

5月初旬の昼過ぎ、友人らしき女性と一緒に都内の自宅を出る小雪を本誌は目撃した。黒のキャップに七分丈パンツ、スニーカー姿で、出産前より少しふっくらした印象だ。晴れ晴れとした笑顔で友人と話しながら近所のカフェに入り、ゆったりと昼下がりを過ごしていた。

「夫の松山さんが家にいるときは、子供の面倒は見てくれるようです。とはいえ時間は限られてますから、小雪さんは近所に住む実母に手伝ってもらうことが多いそうです。カフェに行った日も実母が家に来て、小雪さんに友人と過ごす時間を作ってあげたようです」(小雪の知人)

少しは余裕が生まれてきたのだろうか。別の芸能関係者が言う。

「一時は”育児うつ”もひどく、イベントで『子供が可愛いと思えなかった』と本音を漏らしていました。その最悪の状態は脱した小雪さんですが、自分1人の時間を早く持ちたいという思いもあって、女優復帰を早めにしたい意向のようです」

現在、本格始動を視野に入れてベビーシッターを探しているという。「いざ復帰となれば、家族にばかり頼るわけにはいきませんからね」(同・芸能関係者)

1時間ほどリフレッシュタイムを楽しんだ小雪は、長男と母の待つ我が家へ帰っていった。


http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120516-00000304-jisin-ent
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「母の日」、その起源と反対運動

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「母の日」といえば、今では食事やプレゼント、グリーティングカードを贈る日だが、かつては戦死した兵士を悼み、平和のために活動する母親たちの日だった。

 この祝日が商業利用されるようになると、「母の日」誕生の立役者となった人物は反対運動に身を捧げ、ついには財産を使い果たし、衰弱して療養所で亡くなった。しかし、彼女の死後もむろん「母の日」は消えることなく、現在もなお世界中で、さまざまな形で祝われている。

 アメリカ、ウェストバージニア・ウェズリアン大学の歴史学者キャサリン・アントリーニ(Katharine Antolini)氏によると、早くも1850年代には、ウェストバージニア州で女性による社会活動を展開していたアン・リーブス・ジャービス(Ann Reeves Jarvis)という人物が、「母のデイワーク・クラブ」(Mother's Day Work Club)を組織していた。衛生状態を改善し、病気治療と母乳の汚染防止を通じて、乳児死亡率を低減することを目的とした活動だ。1861~1865年の南北戦争中には、南北双方の負傷兵を看護する活動も行っていたという。

 南北戦争後、ジャービスら女性たちが中心となり、「母の友情の日」(Mother's Friendship Day)と題したピクニックやその他の催しを開いて、かつての敵同士を結びつける平和活動を行うようになった。アメリカの愛国歌『リパブリック讃歌』(The Battle Hymn of the Republic)の作詞者として知られるジュリア・ウォード・ハウ(Julia Ward Howe)は、1870年に有名な「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発表して、女性たちに政治に参加し、平和を推進するよう呼びかけた。

 同じ頃、ジャービスは南北に分かれて戦った人々のために、ウェストバージニア州全土で「母の友情の日」を開催していた。しかし、現在われわれが知る「母の日」の誕生に最も貢献したのは、彼女の娘であるアンナ・ジャービス(Anna Jarvis)だ。ただし、アンナはその後の人生の大半を、現在のような母の日を撲滅する活動に費やすことになる。

◆母の日のルーツ

 アンナ自身は生涯子どもを持たなかったが、1905年に母のアンを亡くしたことを契機に、母の日誕生の立役者となった。最初の母の日が祝われたのは1908年のことだ。

 1908年の5月10日、アンナの出身地であるウェストバージニア州グラフトンや、アンナが当時住んでいたペンシルバニア州フィラデルフィアなど数都市で、家族が集まる催しが開かれた。催しが行われたグラフトンの教会は現在、「国際母の日教会」(International Mother's Day Shrine)と改名されている。

 主にアンナの働きかけによって、母の日は多くの市や州で祝われるようになり、1914年には当時のアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson)が5月の第2日曜日を正式に祝日と定めた。

「アンナにとって、その日は家に帰って母親と過ごし、母親のしてくれたことに感謝するための日だった」と、ウェストバージニア・ウェズリアン大学のアントリーニ氏は述べている。「すべての母親を祝うのが目的ではない。自分たちの知る最高の母親、すなわち自分の母親を、子どもとして祝うための日だった」。アンナがこの日を複数形の「Mothers' Day」ではなく、単数形の「Mother's Day」で呼んだのはそのためだとアントリーニ氏は言う。

 しかし、アンナの成功はほどなく失敗に変わる。少なくともアンナ自身にとって、それは“失敗”だった。

◆「母の日」を攻撃

 アンナにとって内輪で祝うものだった母の日は、いつの間にか花やキャンディ、グリーティングカードを買って贈ることが主体の商業的な日に変貌していた。この変化に強い不満を覚えたアンナは、自身が相続したかなりの資産を投じて、母の日を厳粛なルーツに立ち返らせるための活動を始めた。

 アンナは「母の日国際協会」(Mother's Day International Association)を立ち上げ、この祝日の主導権を取り戻そうとした。不買運動を展開し、訴訟を起こすと警告した。慈善活動の資金集めに母の日を利用したとして、時の大統領夫人エレノア・ルーズベルトを非難しさえした。

 アントリーニ氏によると、「1923年には、フィラデルフィアの菓子製造業者の集会に押しかけた」という。その2年後にも、同様の抗議活動を行っている。「現在も存続している『アメリカ兵士の母の会』(American War Mothers)という組織が、資金集めに母の日を利用し、毎年カーネーションを販売していた。これに腹を立てたアンナは、1925年にフィラデルフィアで開かれた同組織の集会に押しかけ、治安を乱す行為を理由に逮捕された」。

 母の日を改革しようというアンナの熱心な活動は、少なくとも1940年代初めまで続いた。1948年、アンナはフィラデルフィアのマーシャル・スクエア療養所(Marshall Square Sanitarium)で84年の生涯を閉じた。

「アンナは財産を使い果たし、認知症になって療養所で亡くなったが、彼女こそ、その気になれば母の日を利用して利益を得られたはずだ」とアントリーニ氏は言う。「しかし、彼女はこの日を金儲けに利用する人々を攻撃した。結果として彼女は、経済的にも肉体的にもすべてを失ってしまった」。

Brian Handwerk for National Geographic News


http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120514-00000000-natiogeo-int
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